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好きという気持ちが誰かに邪魔されないように

  • 執筆者の写真: hanchuyuei2017
    hanchuyuei2017
  • 3月17日
  • 読了時間: 1分

あなたの中にある好きという感情を誰かが歪めようとしてきても、それは必ずしも悪意に基づいているからではなく、あなたのことが好きなために、好きなあなたがその別の好きの方角に進んでしまうことで自分が置いてけぼりにされるのを恐れるがあまり、あなたのその好きを否定したり、矮小化したり、嘲笑してみたり、ということを人は、することがある。


悪意に思えるそれは、結果的にあなたの好きを試しているのかもしれない。


それはむかつく行為だ。

とてもとてもむかつく。

でも、憎む必要はない。


「愛は技術である」という出だしではじまるエーリッヒ•フロムの『愛するということ』は、執筆中憎しみと悪意に引っ張られそうになるわたしの陰気な心を手綱のように握ってくれる書籍だった。


好きを守り抜く。

そこにも生存を賭けた技術が必要だ。

わたしは何者にもそれを渡さない。

その契約をした。

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