感情
- hanchuyuei2017
- 4月15日
- 読了時間: 2分
怒りという感情
ユーキャンのアンガーマネジメントベーシック講座で笑ってしまうくらいに
数年前コロナ禍のボロボロの作業部屋で
習得?して以来もう
難しいものではなくなった
恥ずかしいという感情
松本人志がテレビから消えてからとくに
セクシーだというような美化はなくなり
“わきまえる”という言葉に置き換えられて以来
抑制装置の類に過ぎず
恥の文化などという言説もべつに
言いたいことを言えない社会をつくり上げてしまった功罪とすら思うようになった
つらいという感情
何かを作り上げるためには苦労をしなければならないという呪いにかけられていたことに気づいてから
つらがりたいだけなのだというある種の欲望を失恋で得たあの時から
先取りするような邪悪な未来予知はやめた
そうしてあらゆる感情を時間とともに成長材料として見極めていくさなか
どうしてもラスボスのように
虚しい
という感情とどのように折り合いをつければよいか
その過渡期にわたしはいる
毎日のように物語を書き言葉を書き触れて
ひとの幸せを望み己の中にある漠然とした不安を鮮明にしていくための運動をし
家族や子や仲間を愛し
おそらくあちらも愛してくれているのだろうし仮にそうでなかったとしても
悪口や憎しみを通過するような耳や口はもうわたしには必要がない
愛を口にすることがオワコンだとか
否定の方がフィード数を稼げるだとか
そうしたあらゆる装飾的な世の中に
うんざりと虚しさを感じるこの一瞬は
たしかに存在するのだから
わたしは書かずにはいられない
かといってわたしが認識する世界は
暗く苦しみに満ちた暴力の世界だと思わないでほしい
この場所で遠くに放つ言葉たちは
誰かが読んでいようといまいと
冷蔵庫のコンプレッサーで暖をとる真冬の虫のように
大きな空虚にたいして
いまをのんびり生きていくための詩なのだ
わたしを憐れんだり心配したりしなくていい
わたしは虚しさを愛している
何万年ものあいだ遺伝情報のなかのわたしの一部が
それを知っている
それというのはつまり
空白の中には夢を注ぐことができることをだ
なかよくしよう?